〈 煩悩 〉

 多くの問題を起こした著名の方々が、出処進退を見誤り批判を受けて去って行ったという記事を目にすることが多い一年でした。柔道連盟のトップ達、プロ野球のコミュッショナー、J R の社長、食材偽装の経営者、知事等々現在の地位に恋々として言い繕っている様は誠に惨めと言わざるを得ません。「潔く身を引く」・「晩節を汚すな」という日本の精神文化はどこに行ってしまったのかと残念でなりません。
 二十三日、ソチ冬季五輪代表の発表がありました。高橋大輔選手が前日の全日本選手権でミスを重ね五位となりました。その会見の中で涙ながらに「これが僕の実力です。」と語り、彼の「五輪はないだろう」との覚悟を伺い知ることができました。その高橋選手の代表発表を聞いた会場から割れんばかりの拍手が起こりました。もっと高橋選手のスケートを見たいと望む人たちの思いの表れであろうと思いました。自分の欲望にとらわれ今の地位に執着しても、周りから認められなければ社会的に何も得るものはないと思います。高橋選手の自らの置かれた状況を知り身の振り方を処した、そんな覚悟を見習いたいものです。
 「学人の第一の用心は先ず我見を離るべし。我見を離るといふは、この身を執すべからず。」( 道元「正法眼蔵随聞記」)
 ー学人とは、人生をまっとうに生きようとする人間と言ってよく、どんなに学問をし、修行を積んでも、もし「自分がやっている」という、自己中心の心が少しでもあったなら、決してそこから悟りを開くことができないー( 「仏教的な生き方」松濤弘道日本文芸社) とあります。悟りを開くとは、自己中心の考えを捨てることです。自己中心の心とは、すなわち「欲望」であり、仏教的には「煩悩」と言えましょう。自分自身に「偏らず、こだわらず、とらわれず」そして、「貪らない」そんな生き方をしたいものです。
 大晦日の夜、除夜の鐘( 百八煩悩を除去する意を寓して一〇八回撞く鐘「広辞苑」) を聴きながら今年一年を振り返りつつ新しい年の「煩悩」の少なきを祈りましょう。
 皆々様の新しい年の幸多からんことを心よりお祈り申し上げます。
 
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