〈 一年の計 〉

 「一年の計は元旦にあり」と一年の目標を元旦に考え、大晦日に除夜の鐘を聞きながら一年を振り返ることが日本の伝統文化として今日に至っている。
 南禅寺の義堂周信(一三二五~一三八八)はその著書『空華日用工夫略集巻二』で
「一年の計は穀(こく)を種(う)ゆるにあり。
 十年の計は樹(き)を種(う)ゆるにあり。
 百年の計は徳を種(う)ゆるにあり。
 人の最も種(う)ゆるべきものは徳なり」
と述べています。
 ここで言う「徳」を『日々の力』(教育新潮社)で執筆者(鎌田禅商)は「一隅を照らすもの」と言っています。天台宗の開祖伝教大師(最澄)のお言葉に
「国宝は何ものぞ。法とは道心なり。
 道心あるの人を名づけて国宝となす。
 一隅を照らす、これ国宝なり」(『山家学生式』)
 「道心」とは、それぞれの道に精進することによって、向上と進歩を求めて、努力する心のそうした道心ある人のことで、 道心ある人を国宝といい、また社会の一隅で、各自の分野において光明のような存在の人を国宝だと示している。(『心をたがやす』小島昭安「総持寺出版部」)
 また、伝教大師の『山家学生式』で
「径寸十枚、これ国宝に非ず。一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」(『仏教的生き方』 松濤弘道「日本文芸社」) とも書かれています。中国の故事に斉の国王が魏の国王から「魏には世に比類ない十個の宝物があるが、貴国宝物はあるか」と問われ、 斉の国王が「私の国には一隅を照らす立派な臣下がおり、此が宝物である」と答えたという話があります。この故事が伝教大師の頭にあったと思われます。 つまり、徳とは伝教大師の言われる「各自の生活の中で光明となり一隅を照らすこと」であろうと思う。
 また、「三つの計」とは、達成可能な短い時間の目標、少し長い時間のやや厳しい目標、 そして長いスタンスの理想を目指しての目標の三つの目標を考える必要性を述べているとも言えるのではないでしょうか。
 元旦に理想の生き方としての「徳ー一隅を照らす」を種える計を考えたいものです。
 
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