〈 無財の七施 〉

 二月のこの欄で布施行の「無畏施」について、「字の如くー畏れから解放しー安心させ励ます行い」と書きました。 それは財に頼らず「心による施し」です。今月はこの無畏施の中の「無財の七施」に触れたいと思います。

 無財の七施は

  • 慈眼施( じがんぜ) 優しい眼、慈しみの眼
  • 和顔施( わがんぜ) 機嫌のよい顔、和やかな顔
  • 愛語施( あいごぜ) 素直な言葉、心のこもった言葉
  • 捨身施( しゃしんぜ) 手伝い仕事、体による奉仕
  • 心慮施( しんりょぜ) よいことに賛意、 喜びや悲しみを分かち合う
  • 床座施( しょうざぜ) 敷物をすすめる、 場所・座席を譲る
  • 房舎施( ぼうじゃぜ) 控え室を与える、 家や軒先を貸す
の七つの行いを指しています。

 「無財の七施」と聞き難しい行いと思った人もいるかもしれませんが、よくよく見ると決して実行不可能なことではない七つです。 私たちの周りでも「いい人」と言われている人は、この七つのいくつかを実行しています。 この人達に共通するのは「明るく、優しく、他人のために心配りのできる」ことです。世の中には好かれている人がいます。 反対に、残念ながら嫌われている人もいます。好かれるか、嫌われるかの差は、他人を思う気持ちの有無だと思います。

 論語に「己の欲せざることを人に施すことなかれ」とあり、旧約聖書には「己の欲することを人に施せ」とあります。 仏教に限らず、儒教にもキリスト教にも通じる普遍的な真理は、「他人への心配り、配慮」だと思います。

 第二次世界大戦時のナチスの収容所の所長が厳格で優しさに欠く人の収容所の子供は、やせて怯えて情緒が安定しなかったそうです。 反面、優しくおおらかな所長の収容所の子供は明るく朗らかだったとある本に書いてありました。 また、新聞の「中学生の好きな先生のタイプ」というアンケートでは、一番が明るく、二番が優しいとなっていました。

 「他人の傷みを自分の傷みと感じる」ことのできる人間を目指したいものです。 それが心の施しであり、無財の七施につながるものではないでしょうか。

 
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