〈 直葬 〉

 26年版雑誌「大法輪」の五月号の特集は「戒名・お墓・直葬とは」です。 拾い読みをしただけで結論じみたことを申し上げるのも甚だ僭越ですが、いろいろな方の葬儀やお墓についての質問を見て「一般の人はこんなことも知らないのか」のかと驚きました。 これはひとえに我々の日頃の啓蒙の怠慢さを表していると反省しました。

 その中で特に気になった記事は、今流行っていると言われている「直葬」です。 この本では、直葬を「死亡後、いわゆる葬式儀礼をしないで直接火葬に処す形態の葬式」と説明し、「2000年以降に急増」とありました。 また、この語源は「葬祭業者の隠語で死亡した病院から火葬場の安置所に`直送`される」ことからきているとも説明されていました。

 私事ですが今年になって2件の「直葬」の相談を受けました。 1件目は、「友人の葬儀に参列したが、通夜もなく読経も戒名もなくただ火葬場に見送っただけだがあれが葬儀といえるのか」というものでした。 2件目は「義父を直葬で見送ったが、妻の身内から納得できないので何とかしろと言われて困っている」というものでした。 これに対する私は答えとして、「葬儀の方法は法律で決められたものではなく、見送る人の心も問題だから是非を論ずることはできない」としか言えませんでした。 しかし、両名とも納得したものの「そうかもしれないが、それでいいのか」と腑に落ちない感想でした。

 この「直葬」についての社会的な背景や原因・対応等もこの本の書かれています。 この中で青山俊董堂長(愛知専門尼僧堂)が「弔い」の心という法話でこの直葬のブームにどう対応したら良いか示されています。


ー 葬式の一つの意味は先に逝かねばならなかった、自分の
 全身心を挙げて後に遺った者達へ、そこに集まった人々へ
 語りかける遺言のひと言があるはず。その遺言を心の耳を
 澄まして聞き、具体的生活の中で実践することである。ー
 

ー 葬式や法事を、単なる儀礼や世間体や金や片付け仕事な
 どという雑念に振り回されず、死と生と我が人生と向き合
 う大切な場として、僧俗共に真摯に取り組んでゆかねばな
 らないと思うことである。ー


 死者の遺言とは「死は必ず訪れる。いつこの日がきてもいいように毎日を生きなされ」だそうです。 そう考えるとどう死者を見送るかが分かってくるように思います。

 
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