〈 盆 〉

 施餓鬼棚の茶を汲みかへる娘かな 小林一茶
 盂蘭盆や無縁の墓に鳴く蛙    正岡子規
 
 一昔前まで、うれしいことを表す時に「盆と正月が一緒に来た」と言いました。盆とは先祖の霊が帰ってきて親族が一同に会し先祖や故人を偲びつつ、今の自分があるのはご先祖様のおかげと感謝する先祖崇拝・先祖供養の心の表れと言えましょう。盆は「お彼岸」と共に中世から先祖を思う民衆の気持ちに支えられ今日まで伝えられ国民的な行事となっています。
 盆の由来を調べると「盂蘭盆は梵語ウランバナ(倒懸ー逆さでつるされるー苦しみを表す)のこと。お釈迦様の教えに「毎年七月十五日修行が終わった時に種々の施物を供えて三宝(仏・法・僧)に供養すれば、現世の父母は寿命を保ち過去七世の父母は餓鬼の苦労を免れる」とあります。そのため、一般的には先ず十三日には迎え火を焚き、十六日には送り火を焚きます。各家庭では盆棚をこしらえお供物を供え、住職の棚経を待ちます。
 私が幼かった頃、お盆の時期になると母親に「お盆って、何?。何で火を焚くの?」と尋ねました。すると母は「お盆はご先祖様が帰る日。この火はご先祖様を迎えるため」と答えたが、幼な心に「ご先祖様って?、何で帰ってくるの?、今どこにいるの?」と次々と新たな疑問が湧きましたが、気にも留めず遊びに行ったことを思い出します。しかし、何か分からなくても何となく「死んだ人が帰ってくる大事な日」という認識は持ったようである。
 太慶寺では盆行事として檀家さんの盆棚作り・墓参りが主になりますが、他に寺での施食会にほぼ全員の檀家さんが参列します。また、新盆のお宅では10名の身内の方が施食会に参列し、家庭では例年よりも華やかな盆棚を設け、住職の棚経時に組の方が念仏を唱えて新亡の霊を慰めることになっています。
 16日の送り盆には夕方中野の方は阿弥陀堂に集まり送り火で戻ってきた先祖をあの世に送ります。大久保では全員が夕方太慶寺に集まります。組内で新盆のお宅がある時は新盆の家に集まり念仏を唱えた後、太慶寺に集まり全員で念仏を唱えます。その後、墓地に行き送り火を焚き読経で先祖の霊を送ります。この良き伝統がいつまでも続くことができたらな、と思わずにはいられません。     

 
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