「父母恩重経」に
ー己生ある間は子の身に変わらんことを願い、己生なき後は子の身を守らんことを願うー
とあります。子供のためなら身代わりにもなるし、死んでからも子供を守りたいと願う、親の子供を育てる時の思いを述べた一節です。
そこには、子供のためなら何でもするという強い意志を感じます。
この代償を求めず、ただ子どもを思う親心は「献身」と言えるのではないでしょうか。「献身」とは、「漢語林」(大修館書店)には「身を捧げて、その事に力を尽くすことと
あります。
昨年の夏に兵庫県で花火見学に来ていた多くの人がガソリン缶の揮発油の延焼により犠牲になるという痛ましい事故がありました。その中で奇跡的に軽症ですんだ子供がいましたが、そこに居合わせた父親が子供を守るために火からの盾となり犠牲になったということが報告されました。これこそが献身といえましょう。また、北海道で吹雪の中娘を守るために娘に自分のジャンパーを着させ抱いて娘を守った話も聞きました。
吉田松陰の「親を思う心に勝る親心 今日の訪れ何と聞くらむ」は辞世の歌として名高い作品です。子供を育てる時に、その愛情に対価を求めている人はいません。親の愛は「無償の愛」というものでしょう。松蔭は親の愛に勝るものはないと言い、蛮社の獄で親より先に死ぬ報を聞く親の悲しみを詠じています。
この「献身」の反語は「打算」ではないでしょうか。「打算」を金田一京助先生は「損得を考えること」と定義しています。
現在の世の中は損得ばかりを考え、見返りを求める打算的な人ばかりで残念でなりません。他の人に見返りを求めない心配りをを常に意識して欲しいものです。そういう人が多い国が豊かな国と言えるのではないでしょうか。国民総生産額だけではなく国民幸福度でも上位に上がる国になることが、物質が豊かであるととに心も豊かである国と言えると思います。